嫌な事があると癒しを求めるように配信を見るのが日課になっていた。僕とタミキが唯一、繋がって入れるのがこの世界だけだった。スマホだけが繋ぐ、運命の出会いなんじゃないかと錯覚してしまうほど。
自分の中で都合のいいように解釈し、関連付けると、孤独に苛まれた日常から脱出出来るんじゃないかと希望を抱いていたのだと思う。 黒髪だったのを赤く染める、服装もなるべくモノトーンで揃えて、メガネもコンタクトに変えると、いつもの自分とは少し違った印象になるが、タミキのようにはならなかった。一瞬でもいい、傍にいることが出来ないのなら、自分が彼になってしまえばいい。そんな歪んだ思考へと変化していく。 「服と髪はこんな感じだけど、顔が違いすぎる」 セクシーな流れ目をしているタミキとは対照的で僕はどちらかと言えば幼なさが出てしまっている。だからこそ、今まで見下されたり、舐められたりしたんだろう。 「僕も彼のようになりたい。でも……」 財布の中は勿論、銀行にも金はない。二千円くらいは残っているが、それで何かが変わるとは、到底思なかった。 雰囲気だけでも近づけたかった自分を見て、恥ずかしい気持ちが顔を出す。結局、見た目を幾ら買えたところで、中身はそのままの僕。何も変わっちゃいない。 ピロンピロン—— 邪魔するように、これ以上考え込まないようにと警鐘を鳴らしながら、スマホがチカチカしている。生まれて初めてコンタクトに挑戦した僕は、目の痛みに耐えながら手を伸ばす。 んーと目を瞑ったり、上方向を見たりしていると、次第に慣れてきたのか、少し馴染んできた。メガネがなくても、コンタクトをするだけで視界が広くなった気がする。今まで見てきた景色も、空気も、鏡に映る自分自身も、知らない人、知らない世界、それとプラスされて微かな新鮮さが合わさっていく。 まだ画面を見ると、見えすぎて目がチカチカするけれど、それも慣れてしまえば、今感じている感覚と同じになる。そうやって非日常が形をかえ、新しい日常へと上書きされていくのだろう。 スマホをスクロールしていくと、メッセージボックスに「杉田」と書かれている。ああ、もうそんな時間かと呼吸を整えると、返信した。 杉田は数少ない友人の一人でもあり、タミキのファンだ。タミキの配信を見るようになってから、僕のミキシングにコメントを残していた。配信アプリミラクルと同期していたらしく、そのリンクから飛んできたと聞いた時は、焦りながら設定を見直したっけ。 推しのことを色々語りたくて、連絡を取るようになると、杉田の正体に気づくきっかけになったんだ。 世間は広いようで狭い事を教えてくれるネット世界に脱帽しながら、机の上に置く。カーテンから溢れる太陽の光が反射して、僕の顔を照らし始めた。 4話 今までの自分にさよなら タミキと出会って自分の中の何かが崩れ落ちた。借金を返す為にがむしゃらに働いている僕は世間知らずで飼われないんだと思っていた。 どう変わればいいのか分からないけれど、今の自分から抜け出したいと願っている自分がいる。僕は脱皮の出来ない蛇だったのかもしれない。一歩踏み出す勇気がなくて、ダラダラと過ごしてきた。 「自分に自信がないのなら、見た目から変わるのもありだと思うぞ?」 スマホの向こう側から聞こえたのは杉田の何気ない一言だった。学生以来、話すのが久しぶりだった事もあったのか、ドキドキしている僕がいたんだ。 「見た目からか……その手があるのか」 「お前前髪長くて、顔見せねぇじゃん? 可愛い顔してんのに勿体ねぇって」 「は?」 杉田の口から「可愛い」なんて初めて聞いた。正直、そういう事を言うタイプには見えない。違和感だらけに感じる。 カランとグラスの氷が溶け出した。今日はいつも以上に暑い。涼しい部屋でゆっくりしたかったが、エアコンの調子が悪く、ムンムンと熱気が篭っている。はっきりしない僕みたいで、気分が落ちていきそうだった。 「お前時間あんだろ。俺がお前を変身させてやる。タミキの為にも、お前の為にも一歩踏み出してみよう」 杉田の言葉がいつも以上に耳に残って離れない。その言葉に乗っかかってみるのも、いいのかもしれなと思い始めた瞬間だった。 ———————— 家から逃げ出すように、勢いで杉田との待ち合わせをしている喫茶店で紅茶を飲んでいる。普通なら久しぶりに会う友人が今何をしていて、どんなふうに変化したのか楽しむかもしれないが、僕は違った。 友人としてより、アドバイザーとして杉田を見ている。彼の話を聞くために来たのだから、目的は通常とは違ったんだ。 「お。待たせたな」 「久しぶり」 「おう。髪自分で染めたのか?」 緊張しながらコクンと、頷くとまじまじと観察対象を見るような瞳で見つめてくる。動物園にいるパンダの気持ちがわかる気がする。何となくだけど。 「髪色は悪くないけど、何かが違う気がするんだよな。ストレートのように見えるけど、後ろの生え際は癖毛なんだよな。今の髪型だと重たい」 そう言われて口をあんぐり開けてしまった。癖毛なんて言われた事なかったのに、少し見ただけで言い当てた。僕が思っている以上に、杉田って凄い奴なんじゃないかと感心してしまう程に—— 時間はたっぷりとある。少し前の僕なら今もバイトに追われていたかもしれない。そんな毎日にさよならをすると、あの時のどんよりした自分の姿は消えていった。58話 前兆 沈んでいく意識の中で僕は泣いている。タミキを裏切ってしまった気持ちを抱えながら、子供が泣きじゃくるように、泣き叫んでいた。そんな僕に手招きをする人物が声をかけてくる。「そんなに泣いてどうしたんだ?」 声の主の方へと視線を向けると、光に包まれているように眩しくて、手で遮ろうとする。強い光はまるで彼の生命力そのものの形をしていて、全ての人に影響を与える、そんな光を持っていた。 ゆっくりと眩しさを逃しながら近づいていくと、遠くにいた彼がいつの間にか目の前に姿を現した。ぎゅっと抱きしめられると、彼が誰なのか分かった気がする。ずっと待ち侘びていた存在に、嬉し泣きをしていると、杉田との事が過去の出来事へと塗り変わっていく。禍々しい嫉妬も、闇も、束縛も、全てを浄化してくれているようだった。「離れていても俺は、庵、君の側にいる」 その言葉は力を持つと、全ての光が空間に連動され、僕の内部へと干渉し始めた。目で見えるものではない、心で見える景色を見せてくれた彼の側には、笑って幸せそうに日常を過ごしている僕の分身の姿がそこにある。まるで予知夢を見ているようで、願いが形になっていく瞬間を感じた気がした。「大丈夫だよ、一人にはしない……きっと」 後ろから抱きしめてくる彼は甘い吐息を耳元で漏らすと、僕の耳を甘く噛んでいく。時折、ちゅうちゅうと舌を鳴らし、まるで子猫が毛繕いをするように、優しく丁寧に舐めていく。現実なら感覚があるはずなのに、温もりを感じるだけだった。ここは自分の都合のいい未来を見せてくれる特別な場所なのかもしれない。そう想うと、嬉しい反面切なさが増殖していく。 夢は自分の願望を示す鏡だ その鏡を手に入れる事は 難しく、苦しい それでも手に入れる事で 僕は本当の僕になれるのかもしれない 僕とタミキの影響がこの世界の杉田に影響を与えている事に気づけなかった。何処にも行ってほしくないと引き止める為に無意識に全ての時間軸と機能を奪っていく。模倣されたプログラムが自我を持ってしまった事で僕は前に進む事が出来
57話 嫉妬と拒絶 疲れた僕は布団の中でゴロゴロしている。今日からリハビリが始まったからだった。だいぶ筋力は戻ってきたが、なかなか上手く歩けない。自分から自由を捨てたのだから、自業自得だった。最初は立つ事から始めた。本来なら歩けるはずなのに、メンタル的な原因があるらしく、明日からはカウンセリングも受ける事になっている。少し力を使うだけでも疲労が出てくるのに、大丈夫なのかと不安にもなる。 消灯時間を過ぎているので、置かれている電気スタンドをつけ、暗さを紛らわしている。あの火事以降、どうしても暗闇で寝る事が出来なくなってしまった。 淡い光を見つめていると、眠たくなってくる。いつもこの時間帯はタミキの事を考えてしまう。そんなルーティンになっていた。何処で何をしているのか分からない彼を想うのは辛い。自分に勇気と力があったのなら、助け出す事が出来たのに、現実は違った。「会いたいな」 あんなに愛しあった人は他にはいない。タミキが姿を現さなくても、僕はこの気持ちをなかった事にはしたくない。唯一会えるのが、夢の中だけなんて残酷だ。 ドアの隙間から誰かの足音が聞こえてくる。見回りだろうか。起きてる事に気づかれてしまったら、怒られるだろう。電気はこのままにして、布団を深く被ると、目を瞑る。スウスウと寝息を立てると、狸寝入りが完成する。「……寝たか」 少し遅れていたら、目があっていただろう。その人はベッドの側に座り、僕の様子を観察しているようだった。なるべく不自然にならないように心がけながら、顔にかかっていた布団をゆっくりと押さえつけていった。「……庵、まだあいつの事を」 聞き覚えのある声に耳を傾ける。僕を助けてくれた杉田は僕を避けるようになっていた。それなのに、今僕の側にいるのは昔と同じ優しい声をしている彼だった。 ぬっと影が重なっていく。彼の鼓動が聞こえそうなくらい近づいた体は、何が起こるのかを理解していないようだった。「俺は諦めない、絶対に」 タミキには負けたくない気持ちが表面化されていく。そこには嫉妬と暗い感情が見
56話 三島付属病院 久しぶりに外の世界を感じている。僕の日常は様変わりしながら、その場を手放した事が、随分昔のように思えた。あれからタミキの消息を追っている杉田は、情報を僕に明かしてはくれない。何度聞いても、知らない方がいいとあしらわれるだけだった。僕の体調とリハビリを兼ねて、三島付属病院にお世話になる事になると、定期的に顔を出してくれている。弱った肉体とメンタルを元に戻す為に、時間がかかるらしく、じっくりと腰を据えなければならない。「支払いは大丈夫と言ってたけど……」 三島付属病院で診てもらう為には紹介状が必要だ。通常なら飛び込みの患者を受け入れてはくれないはずだった。しかし杉田は裏で何かしら手を回しているようで、思ったよりも速い速度で決まってしまった。 コンコンと扉を叩く音が耳を刺激する。急な音に驚いてしまった僕は、隠れるように布団の中へ沈んでいった。「失礼します」 僕の部屋に入ってきた人物の声は明るく、太陽のような輝きを放っている。ゆっくり布団の隙間から確認しようとすると、そんな僕に気づいたのか、くすりと笑い声が聞こえた。「そのままで大丈夫ですよ。お食事の用意が出来ましたので、食べてくださいね」 普通なら看護師が対応するのだろうが、僕専属の世話役が身の回りの全てを担ってくれている。まるで物語に出てくる貴族になってしまったようで、なんだか歯痒い。「……ありがとうございます」 聞こえるか聞こえないくらいの声で、恥ずかしさを隠すように御礼を言うと、ふふと音を漏らした。子供扱いされているような気分になってしまうのは何故だろう。 やる事をし終わった世話係は、音を立てないように病室から抜け出すと、ぼふっと布団から顔を出し、新鮮な空気を取り入れていく。閉められてたカーテンを開けてくれたようで、太陽の光と院内に隣接している森林をモチーフにしている小さな森が僕の視界を照らし続けた。 この景色をタミキと一緒に見れたのなら、どれだけよかっただろうか。そんな事を思いながら、小さな卓の上に置かれた食事と温かいお茶が温もりを漂わせながら、空
55話 目的地は何処? 「おい、大丈夫か?」 どこからか声が聞こえてくる。ピクリと体を震わせると、瞼が連動するように反応する。ぼやけた背景は、目が馴染んでくるとすんなり受け入れる事が出来た。長い夢を見ていた気がする。何か大切な事を忘れているような気がするけど、現実に戻った僕は、気のせいだけで留めた。「意識はあるな、よかった」 長い間会う事がなかった杉田が目の前にいる。涙で真っ赤になっている瞳が印象的だった。いつも冷静な彼がここまで感情を示すなんて、何事だろうと考えながら、彼の腕に抱き抱えられた。「火が回る前にここから出るぞ」 記憶が改竄されている事に気づかずに、目の前にある物事こそが真実だと疑う事はなかった。窓から飛び降りようとする杉田に待つように言うと、一瞬止まる。「タミキがいるんだ。ここに……早く助けないと」 タミキの名前を聞いた杉田は唇を強く噛んでいく。今までの自分の行動が引き金となり、僕を危険な目に合わせてしまった事が、引っかかっているようだった。僕の知っている彼なら、タミキを助けに行こうとするだろう。しかし、長い年月を一人で過ごしてきた彼は、前のように振る舞う事を忘れてしまっていた。「杉田ってば」 僕の言葉を振り解こうと顔を背けると、指差す炎の先から逃げるように、飛び出した。ガシャンと窓ガラスの残骸が砕けると、僕の希望も壊れていく。泣きながらタミキを叫び続ける僕を、背負うと逃げれないように、力をグッと入れた。 こんな形で彼と離れるなんて想像もしなかった僕は、ただただ涙を流し続けた。 彼は僕の事を考えていた 何が一番笑顔に出来るのかと 自分では役不足になる事を 理解していた彼がいる ある程度走っていると僕達を待ち構えるように車が目の前に停められた。運転席から声をかけられると、杉田は頷き、力が抜けた僕を後部座席へと放り込んだ。 僕が抵抗しないように、一人の青年が乗っている。彼に重なる形で崩れると、にっこりとした笑顔が見えた。
54話 境目に咲く金木犀 ずっと側にいられたら、どれだけ幸せなのだろう。自分の気持ちに素直になりつつある僕は、姿の見えないタミキの姿を探し始める。彼と繋がるものは、もう何もないのかもしれない。途方に暮れていると、ふんわりと懐かしい匂いが僕を抱きしめていく。「誰……」 まるで透明人間になっているような感じだ。自分の姿は相手に見えていないように、相手の姿も僕からしたら存在しない。まるで世界が危険分子を除外しようとしているみたいに。 心と心で会話する事は普通なら出来ないはずだ。しかし、今僕の目の前で起こっている現象は感情のリンクだった。誰かの気持ちが自分の中へ流れ込んでくると同時に、何かが僕の中から抜けていく感覚を感じている。声に出しても反応しないその人は、ある景色を共有しながら導こうとしている。「ここは」 さっきまで草むらをかぎ分けながら歩いていたはずなのに、何故だか沢山の金木犀が咲き狂っている場所に辿り着いた。キョロキョロと周囲を見渡してみるが、誰の気配も感じられない。ここは現実なのか、はたまた違うのか、疑問が僕を満ちていく。「もう少しで出れるよ。もう君は自由になるんだ」 聞き覚えのある声が脳裏に響く。耳で聞いた声じゃない。まるで直接脳みそに語りかけているようだった。金木犀の匂いが充満していくと、匂いが形になり、一つの影を作り出す。最初はただのもやでしかなかった存在は、人の形に変化しながら、僕の期待に応えようとしている。 おいでおいでと手招きをし始める影を見ていると、大人の背丈から子供の身長へと縮んでいく。モノクロ写真のようだった影は、パッと光を発すると、色を取り戻していく。 遠目から目を凝らしながら確認すると、その姿は幼少期のタミキそのものだった。何の闇も知らない純粋な世界の中で生きている彼のもう一つの世界線が、僕の前で展開されていく。 そこには僕がずっと願って止まなかった彼の幸せそうな表情が浮かんでいる。その姿を見ていると、自分の知らない彼を見ているようで、胸がキリキリと痛み出した。「君自身が彼を幸せにしたかったんだね
53話 真実 帽子の彼は本来なら、僕達との接触してはいけない。記憶の渦に現実の光を灯してしまうと、二人の体に影響がいくからだった。機械の中で何百年も生き続ける僕達恋人は、愛する事を教える為に、機械により動かされている。一つのプログラムを物質として体の一部に挿入する事で、体を死なないように、書き換えているらしい。 人に希望を与えようと活動をしていたタミキは僕と出会い、過去を掘り返す度に、おかしくなっていった。そんな彼を失う訳にはいかないと、当時の支持者達が、僕達二人を違う世界に分け、擬似空間の中で別々の生きる場所を与えてきた。「会いたい……」 僕の言葉は全ての秩序を壊し、タミキと繋がる為に、全ての機械を吸収していく。その隙間から彼の世界へと繋がっている、一つの糸を見つけてしまった。 そこは過去へと繋がるもう一つの世界。自分が過去をやり直す事で未来を変えようとしたのかもしれない。 世界渡りは大きな代償を与えてしまう。僕の場合は記憶の改竄だった。最初からタミキの世界に存在するはずのなかった僕が存在する事になってしまう。そう、世界は違う過去を作り出した。 ずっと追いかけてきたタミキを身近に感じれる事を経験すると、沢山の楽しみと苦しみが交互していく。二つの擬似空間はいつしか混ざり合いながら、対立していく事になる。「俺達はタミキとは違う世界の住人だ。これ以上は関わらないでくれ」 杉田はいつでも僕の傍にいようとしてくれた。タミキに干渉すればする程、自我が暴走する可能性が高くなっていたからだった。人間の殻を破って、色々なキャラクターが生まれていく。そうやって複雑に構成されながら、破滅へと進んでいたのだろう。「……二人はやっと会えたんだね。自由にしてあげたいけど、今のままじゃ厳しい。本当は介入してはいけないけど、今回だけは……」 帽子の彼は、部屋の中に入ると帽子を脱ぐ。すると前髪が顔にかかって見にくいが、杉田と同じ顔をしていた。彼は僕達二人を守ろうとしてくれた記憶保管部の所長だ。研究者の一人でもある彼は皆から南さんと呼ばれていた。本名は杉田南。名